saketoon2006-01-11

  • 旅・たび・旅

人は然るべき「行動」に際し、
然るべき「理由」や「動機」を求める。
或いは「大義」。のようなもの。


それら無しでは、どうも居心地が悪い。
逆にそれさえあれば、妙な安心感を得ることが出来る。
目的を定め、盲目的に邁進することだって可能だ。


今回の旅に関しても、人々は実に様々な言葉を僕に投げかける。
時に純粋な疑問から、時に高圧的・嘲笑的な言葉まで。
「知らねーよ。そんなんどうだっていいジャン」
「イッツ ノン オブ ユア ビジネス」
と、バックレるのが一番なのですが、
ふむ、それじゃひとつ考えてみよう。


旅をする理由のひとつは、その『物語性』にあると思う。
誤解を恐れずにいうなら、人生の一側面は絶え間ない
退屈の連続性にある。そう僕らの多くは退屈を恐れている。
(はいはい。安っぽいのは百も承知の助)
通常の生活ルーチンにおいて、退屈から解放され、
ある種の「物語」を得るためには、僕らは自己動機付け、
あくまで「主体的」にそれらを求めなければならない。


じゃ、旅すれば「物語」が簡単に得られるのか?
そう思う。人の考えにもよるけど。
じゃ、旅行中に何か特別な事でもしているのか?
してない。日本にいる時と大して変わらない。


朝起きて、歯磨いて、飯食って、少々の雑務をこなし、
酒飲んで、時々オナって寝る。ほとんど その繰り返し。


ただそこに「移動」が加わる。


同じルーチンの反復でも、「移動」することによって
人種が変わり、風土が変わり、言語が変わり、
宗教が変わり、通貨や風俗が変わる。


それら劇的な差異は旅行者の感性を大いに
(或いはささやかなりにも)くすぐるに違いない。
勿論、普段の生活から影響を受けることだって多い。
でも僕は「物語」を得る「安直」かつ「簡易」な
方法として旅を選んだ。それだけ。


だってさ、人生において語るべき「物語」が
無いって言うのも、ちと寂しい気がするのだもの。
個人的な考えとして。


敢えて言うなら、これが一つの「理由」。
敢えて言うならですよ。